続)「警官に補聴器を外せと言われて…」の記事に考える | 聴覚にまつわる音のお話
<< 音楽好きの方に[お客さまの声より] | main | 花火大会[日記] >>

続)「警官に補聴器を外せと言われて…」の記事に考える

スタッフMです。

前回書いた話題(「警官に補聴器を外せと言われて…」の記事に考える)から考えたことはもう一つあります。今日はそのことを。

 

 

 

聴覚障害もそうですが、見た目からはわからない不自由さを抱えている人はたくさんいると思います。

 

 

電車に乗っているとき、杖をついたおじいさんが乗ってきたら迷わず席を譲ることができます。ではそこに、健康そうに見える若者が座っていたらどうでしょうか。座ってゲームをしていて、近くにいた女性がおじいさんに席を譲るよう声をかけても無視していたら・・・?それで女性が若者に対して腹を立てていたら、どう感じますか?

 

 

友人が、ちょうどこのような場面に遭遇したそうです。そしてこんなことを言っていました。「無視したように見えても、実はその若者は知的障害や自閉傾向があり、ゲームをしていないと心が乱れてしまうのかもしれない(自分にはそう見えた)。」と。

 

 

 

 

いろいろ考えて行くと、元気そうに見えても実は見えないところに問題を抱えている人はたくさんいると想像できます。そしてその中には、精神的な著しい傾向や障害などで、立っているのが困難な人もいると、友人は指摘していました。

 

じゃあ電車に乗らなければいいじゃないかと言う人が出てきそうですが、通院などでどうしても電車を使わざるを得ない場合もあるでしょう。

 

席を譲らない若者に腹をたてる気持ちもわかりますが、この若者にも事情があるかもしれないと思うと、一方的に怒るのはちょっとなあ、と思います。

 

 

 

 

様々なケースについて考えていると・・・・・これはもう、果てしない!!

 

どんな人も、他人にはわからない様々な事情を抱えて生きています。人々がほかの人々全員の事情を知ることはできません。大変さを計って比べる、なんていうこともできません。想像力を持つこともとっても大事だと思いますが、自分に経験のないことまで全てを想像することはとても難しく、不可能に近いです。だって、人は本当に「それぞれ」なんですもの。

 

ではどうしたらみんなが快適に過ごせるのでしょうか。

 

特別な事情のある人みんながヘルプマークやその他のマークをつける?

 

「わたしにはこういう事情があります」と書いたカードを掲げる?

 

 

 

 

わたしは、みんながみんなを思いやることが一番だなあと思いました。

 

「思いやり」という言葉は、あまりにも当たり前に使われ過ぎて、もはや意味が薄くなってしまった気がするのですが、そこに込められている大切な意味は「相手にもきっと、わたしにはわからない事情があるのだろう」と想像することだと思うのです。

 

これは、外の社会だけではなくて、夫婦、友人、親子など、いろいろな関係に当てはまることだと思います。

 

要は、「相手には相手の言い分があるだろう、そしてそれはわたしの想像の範囲外のことかもしれない。」と思っておくということです。

 

 

難なく立って居られる元気な人には、是非とも苦しい人に席を譲っていただきたいですが、健康そうでも譲らずに座っている人を見て、勝手に非難するようなことがないといいな、と。

 

さらにこれは電車の席の問題だけではなくて、誰かの行動や生き方を見て、他人が勝手にジャッジしたりすることへの警告にもつながります。

 

 

 

人それぞれの本当のところは、その人本人にしかわかりません。一旦「わからない(わかっていない)」という立場に立ってみることは、他人のことをより理解することにつながると思うのです。

 

障害に限らず、社会(つまり人々)が人々の多様性を受け入れ、人それぞれみんな違うし、人にわからない事情を持って生きていることを当たり前と思って生きられたら、みんなもっと生きやすくなるんじゃないかと思います。

 

 

 

_____________________________

 

 

アドフォクス株式会社ホームページ https://adphox.co.jp

集音器の無料試聴 https://adphox.co.jp/shuuonki/trial/

お問い合わせ https://adphox.co.jp/contact/

at 13:54, adphox blog team, 聴覚

-, trackbacks(0), - -

trackback
url:http://blog.adphox.com/trackback/124